写真は常に結果を求められます。それはその個人がいかに苦労して撮っただの、大きいカメラを使っただのデジタルだのといった所で評価されるのではなく、あくまでも成果でのみ評価されるものです。


 もし、その成果に苦労というものが見えてしまったのならばその時点である種負けの様な気がしてしまってしょうがありません。
 例えば、この写真上手ですね。なんて事を言われようなものならば嬉しい反面まだまだなのではないのかと、そう思わずにはいられません。


 最近の人間の味覚は狂っているという事がラジオで言われていました。「この肉は柔らかくて旨い。」とか、「この魚の油分がいい。」とかといった事が先行され、本来の味覚が損なわれているのではないのかといった内容でした。


 上手いという事が先に、感想や批評に関して技術論が先にきてしまう写真というものにはどこか「旨み」が足りず、素っ気の無いものの様に感じられるという事なのかもしれません。
 そうなってしまわない様に気をつけていかなければいけないと、気をつけるというよりも、そういったものに囚われてはいけないと、囚われてはいけないという以前に、技術を身に着けてそれを巧みに操作する力をつけたいと、そう思う。


 そして、僕の写した物事の本質に出来るだけ近づいていただける様なもの、それは人それぞれの場合も有り得るし、そうでない事も有り得るのだけれども、そういった事を先に考えて頂ける様な作品を是非こさえていきたいとそう願います。そう努力します。