まだ私が田舎にいた頃、よく行った所がある。そこは人がほとんど来る事はなく、一人でゆっくりする事の出来る所だった。


 利用者の減少から約十年で航路は廃止され奇麗に整備された埠頭だけが残ったフェリー乗り場。今ではせいぜい釣り人か、車で遊びたい若者位しか来る事はなくなった。それは私が高校生になったあたりからだった様な気がする。

 缶ビールを買い何故か夕方にそこで一人で飲んでいた記憶がある。今思いだすと何とも不思議な高校生である。そして、そこからいつも海の向こう側に見えていた原発に対して何の不思議を覚えずに過ごしていた事に気付く。
 今思えば原発は安全、万々歳といった刷り込みも会った様な気がするが、それは今でも私の中に残り、「あまり危険なものではない。」といった漠然とした思いがある。樋口健二氏の授業を受けている時でもそれはあまり変わらず、「昔は怖かったなー」といった程度でしか考えていなかった。
 しかし、2007年の新潟県中越沖地震に伴う柏崎刈羽原発での一連の事故や、あまり話題になっていないが、泊原発の放火事件などを機に少なからず考える様になった。もしも、万が一あれが爆発なんて事になった時はもれなく私の友人知人親族は消し炭も残らない位に消えてしまうのだと考えると恐ろしくなってくる。それに加え使用済み核燃料問題や、使用できなくなってしまった施設の問題、はたまたテロへの対応。
 あまり詳しくはないのでこの程度しか思い当たらないが、他にも様々な問題があり、議論が続けられているのだろう。

 しかし、そういった事ばかりではなく雇用確保というメリットもある。過疎が進む街にはあまり仕事が無い。それを少なからず補っているのも原発である。
 私の祖母とその妹も原発の食堂で働き、母は原発の職員寮の清掃をし、友人や、知り合いの農家の人も中で働いている。だが、完成が近づいてくるにつれ人は削られていくのが現実で、祖母も「もう少しでおわりかな?」なんて言っていた。


 多分今なおあそこに住んでいる人達はある種の諦めにも似た覚悟で生活しているのかもしれない。

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