久しぶりに多摩川へ行った。古里から歩いて最終的には御岳でそれほど美味しくはないけれど、何故だか行くと食べてしまうミタケラーメンを食べる寸断だ。天候は良好。12時にはついて歩きはじめた。

 12月も終わりとなるとここら辺でも霜が降り、日陰では正午を回っているにも関わらず草木が凍っているのを見たら何故だか興奮した。「こいつは、いそがしくなってきやがった」とは、よつばと!11巻146ページでの台詞だが、まさにその様な気持ちになった。

 人は少ないのに車だけやたらと通る道を歩いているとキャンプ場が見えてきた。誰もいないキャンプ場というのはまた不思議なもので、ロッジの整然さが何故だか際立って見えたり、飯場の施設が何かの宗教施設に見えてしまったりと不思議なものだと思っていると、川の方で激しくショベルカーが川を掘削していてその光景が何だか子供の川遊びの様に見えたのは多分もの凄く高いところから眺めていたからかもしれない。
 と、思いながら橋を渡り対岸を歩き始めて少ししたところで少し急だが、川に降りられそうなところを見つけた私は果敢にも無理矢理感むき出しで川へ降りた。

 なんてことでしょう。降りた達成感はあっても大して面白い光景は広がっていませんでした。がっかりしながら三脚を忘れた事を悔いつつ申し訳程度に写真を撮って下流へ歩き始めようと思ったら今度は歩けそうな部分が無いのです。仕方ないので崖を伝いながら進みますが、ワイルドな私でも進めない様な、というか川と絶壁しかないので進めません。
 登れそうな崖を見つけた私はさながらロッククライマーです。足場を気にしながら、手をかけるところを見つけながら何とかたどりついたのはさっき降りたところから数メートル先の道路である事以上に感じた疲労感は何物にも代えられませんが、それ以上に無駄な達成感を感じました。
 そこに山があるからとは誰が言ったのか解りませんが、とりあえず登れそうなところを見つけたら登らないと家へ帰れない事だけは痛感しました。

 息を切らしながら道路を歩いているとようやく穏やかに川沿いを歩けそうなところへたどりつきまして、娯楽でロッククライミングをしている人や、娯楽でカヌーをやっている人達を見て「平和だぜ・・・」なんて斜に構えながらタバコに火をつけた事はお母さんには内緒です。

 ようやく御岳駅前へたどりついたのでそれほど美味しくはないけれど何故だか食べたくなってしまう「ミタケラーメン」を食べる事に成功しました。携帯電話とタバコを忘れたので急いで戻った事もお母さんには内緒です。