よく「何事にも意味は有るよ!」なんていう励ましの言葉を耳に、目にする。

 自分も何事にも意味があるのではないのかという意見を尊重しないわけではない。その意見に至るまでにはやはり思考の循環が不可欠なのではないのかと思う。

 初めにそう思う事は人生においてとても重要かつ、必要な事だ。しかし、稀にこの世の全てのものに対して何も意味を見出せないという事がある。それ故に自殺をしてしまう人間が現れてしまうのかもしれないとも思う。
 だが、裏を返せば何も意味の無い世界において生きていくのであれば、その考えを捨てなければいけない。いや、捨てずとも生きていける。それは、何でもして良いのだと思う心を持つことだ。何も意味が無いのであれば、犯罪だろうがなんだろうがしてやろうじゃないかという考えにすらなって良いのではないのかと思う。
 少し言いすぎた部分もあるが、「この世に意味など無い」と思ってしまった人間には、その位の心の持ちようが必要なのではないのかと思う。


 話は若干ずれるが、思うにこの世にある思想。例えば輪廻転生の様なものすらも意味を成さないのではないのだろうか。
 もしこの地球というものが存在しなくなってしまったらその思想もろともチリになって消えていくだろう。もう少し視点を落とせば、人間が居る事によって起こる環境破壊を失くすには人類滅亡が望ましい。しかし、自然を守る事に対して意味など有るのだろうか?もしそれすらもなくなってしまえば、地球という惑星自体に意味など存在しなくなる。最終的には宇宙が一番か?いや、そうでもない。


 ようは、何も無いことが一番美しいのではないのか?何にも意味が無いとすれば「無」こそ最高の状態なのではないか?自分はそう思う。そして、この考え方は「虚無の学」という大昔に誰だかが考えたモノだそうだ。

 僕らの発想しうるであろう考えは既存のものでしかなく、考える事すら無意味に感じる。


 しかし、そこで思考を止めてしまっては昨今の自殺ブームに乗っかってしまうだけである。更なる思考の循環が必要なのである。
 とある所ではこの事を「開き直り」と言う。ある所では「裏の裏の裏」なんていう言葉で大昔から伝わっている。

 最終的にまとめると、あんまり考えすぎたらとりあえず開き直れ。だけど、考えない事は途轍もなく愚かな行為なのである程度考えながら生活していきましょうといった所。何でも出来るこの無意味な世界に感謝をしながら適当に生活でもしてるのがこの世でのスタンダードって話。