自感化学

クリシュナムルティというインドの哲学者がいる。彼の事を知ったのはTwitterのbotだ。彼の名言が度々私のTLに流れてくる度に彼の目指していた所が、高校生の頃に薄らと思っていた事に恐れ多くも似ていて、それを言葉にしている様でいつも考えさせられる。 私…

3.11以降の原子力発電を巡る人々の考えや思いとかは私がなんやかんやと言える事ではないので、私の感じた事などを少々。 福島には3度行っている。津波の被害や風評被害(現在では実害であるが)などの現状を見ていて、この先も撮り続けなければ行けないとい…

それは何でもそうなのかもしれないけれど、物事を見る時にミクロで見過ぎて他を見失っている事にも気付かずにそれが真理だと思い込んでしまう事もあるだろう。その逆にマクロで見過ぎてすべてを知っている様な気になって真理が見えていない事もあるだろう。…

当たり前だけど人にはそれぞれ自身の理屈というものがあるはずだ。自身にとって当たり前だとは言いがたいものの、こうだと思って疑わない事があるはずだ。それは、他人に言っても多分理解されないし、別の理屈を持っている人間がそんなものを聞いてもいまい…

今日は本当に久しぶりに一日休みで家に居た。こうやって一日中家に居ると不思議とここが何処なのか解らなくなる。 テレビをつけてみると新宿で天気の話をしている。見慣れた風景だ。毎日見ている様な風景だけど、何だかそこからもの凄く遠くに居る様な感覚に…

真実を知りたいと、知りたいと思って写真をやっていたってそれだけでは真理なんて解らないのかもしれない。写真を初めて7年か8年になるが私は未だに真理の外周をクルクルと回りその表皮にすら触れる事が出来ていない。果たして何が真理なのかという事すら解…

正しそうに見える前提 ・第三国における農業従事者の生活環境は決して豊かとは言えない。 ・約十年前より行われてきた従来の農法とは違う綿花栽培における年間支出の増大。 ・USAによるWTOルールの無視によって引き起こされた国際価格の下落。 ・ヒンデゥー…

やっぱり時間がある時よりも時間がない時の方が必死になれる。時間があればあるだけ何もしなくなる。結局追いつめられてギリギリになって何かをしだす。最初から時間がなければ最初からクライマックスなのだ。 どう見られるかという事ばかりを考える事は悪い…

視覚と思考の間で揺らぐこの感覚は大体酔っぱらっている時か美術館で起こる。まるで夢でも見ている様な感覚、フワフワと視点が定まらなくて全てが見えている様な感覚。明確に見えてくる輪郭に違和感を覚える。私がどうしてこうなってしまったのか、こうなっ…

友人が結婚をして子供を産む。その一連の流れの中に私も少なからず関与させてください。いやらしい意味じゃなくて。 そんな感覚を覚える今日この頃の中に自身の幸せを見つけていく事は酷く困難な事に思えてしょうがない。 いやいや、本当に喜ばしい事だと思…

同族嫌悪は自己嫌悪な訳で、自分を好きになれない人間は他人を好きにはなれないわけで、終わり無き嫌い嫌いは好きの裏返しですか?いや、そもそも同族嫌悪なのか?

世界で起きている出来事、ひいてはこの地球に関わる問題に自身も繋がっている可能性は大いにある。私も以前、少なからず繋がっていると言う様な事をここで書いた様な記憶がある。しかし、今の自分を考えを言えばそれは否だと思う。我ながらコロコロ考えが変…

葬式をするという事は、そこに立ち会っている人達に人が死ぬとどれだけの人が悲しむかという事を知覚させるという意味も含んでいるのかもしれない。

この人は本当にそんな事思ってるのか?という疑問に加えて、もし本当にそんなにポジティブならその裏は大変酷いものになっているんじゃないだろうかとか、何だか恐怖というより心配になってしまう。そして、何よりうざい。実際にあったらどうか解らないが。

何かを見ようと思って何かが見えなくなってしまうのがもの凄く嫌で。全てを見ようとして浅はかだったと気付く。一つの事だけをやっているのがもの凄く退屈でしょうがない私は、色々と手を付けてしまいがちで、それで色々なものが中途半端になっているのでは…

平静を保ちながら写真を続けていく事は大変困難を極める事だと思う。特にこれといった評価も得ず、アルバイトをしながら続けている状態はその骨頂だろうと思う。というか、私がそうだ。 そんな中で、「写真作家でして。」などと言い続ける事にもの凄い後ろめ…

それは気持ち悪いからだろう。新鮮なままで食う為には生きているうちに捌いてしまうべきだ。そんな時に「食べないでください。お願いします。」なんて言われた時にはどうしようもない。仮に家畜として人を旨く育てるとしたら・・・少し想像しただけで無性に…

エレベーターに残る香りはケープ。その匂いを嗅ぐだけで一瞬にして私の記憶は戻される。 ばあちゃんはスナックを営んでいた。正直もうかっているとは言えない様な寂れた店だ。そんなばあちゃんが店に出る時にはいつもやり過ぎ位の化粧を施し最後にケープで髪…

悲しい事や辛い事に目を背けてはいけないと言うけれど、実際にその現場に立てば目も背けたくなる。それは物理的に見ないという事ではなく脳が記憶しない様な配慮を勝手にするという事なのかもしれない。 昨年取材に行った際に葬式を見た。(この「見た」とい…

最高の憎しみを持って死んでほしいと願う事は悪ではないのだろうか。二度とあの様なことが起こってほしくない。だから死んでくれ。不思議だ。 軽はずみな殺害。無差別な殺害。そこに悪意は無かったのかもしれない。判断する頭もなかったのかもしれない。しか…

下記の家族の年齢が我が家の構成と実に酷似していた。そして、私はあれほどまでに父や母が死んだ時に泣けるのだろうかと思った。

幻滅してくれてかまわない。 私は人の幸せなどにほぼ興味が無い。私は私がいかに楽しく愉快に生活できるか。そして、その上で如何に名誉を得るかという事しか頭に無い。私が現在取り組んでいるドキュメンタリー写真に関しても、些細な哀れみやどうにかしてや…

マクロからミクロへ。そして、マクロへ。 他者という視線を介してみる自己という視線から新たなミクロを発見し、その視線を介してまた新たなミクロを見る。融和。膨大なミクロから見えてくるマクロというものに対しての価値というものはどの様なものなのか?…

どんどん自分がおかしくなっていくのではないのかと思う。 以前は多少なりとも悲しい顔や、少なからずの涙を流していると、もの凄くつらい気持ちになった。何故撮っているのか?それ以前に何故ここに居るのか?何だか自分が自分ではない様な感覚に陥るという…

私にとっては肉親であるというのは覆せない事実であるし、私自身もそうであると信じて疑わない。しかし、それが夫婦二人の話になると忽ちに崩れ、肉親から他人へと変貌を止めてしまうという事が、何とも不思議に思えてしょうがない。 私自身が女性と付き合い…

私の都合のいい様に現実をついばみ、それを腹の中で消化したうえで、糞尿の様にとまでは言わないし、言いたくもないが、一つの固まりとして吐き出すという行為はどこかDJ作業にも似ている。 というDJ作業に似ているとか似ていないとか言うのはどうでも良いの…

私はいわゆるコンポら写真と言われるジャンルっぽい写真も撮りますし、いわゆるドキュメンタリーっぽい写真も撮りますし、極私的な写真も撮ります。家へ帰れば鮭でも飲みながらアニメでも見っか!となり、自分はいったいなんなのだとたまに思う事もありつつ…

未来は枝分かれしたものなのだろうか。それとも、一方通行なのだろうか。SFな映像を見ているとよくそう思う。過去へ行って未来を変えようとする主人公はだいたい変えられないと気づき嘆く。けど稀に、変えられるものもある。変わってしまったはずの未来を見…

最近の日本は解りやすいという事がある種のキーワードになっている様に思う。 テレビでは一発ネタで笑わせろ!!(altaのテレビ)的な番組がはやり、昨年の木村伊兵衛賞では即物的な写真がもてはやされ、報道写真らしい写真が巷を翻弄させる。 難解さなどい…

自殺についてどう思うか?という事を問うとよく「死ぬ気になれば何でも出来るのに、どうして死ぬ事がある?」「それは弱い人がすることだ。」などといった種の回答を聞く。私もどちらかというと以前はそちら側の人間であったのかもしれない。 それは自身が自…