世界で起きている出来事、ひいてはこの地球に関わる問題に自身も繋がっている可能性は大いにある。私も以前、少なからず繋がっていると言う様な事をここで書いた様な記憶がある。しかし、今の自分を考えを言えばそれは否だと思う。我ながらコロコロ考えが変わるのは情けない事だとも思う。

 もし本当に繋がっているのならば、そしてそれを自覚してしまっているのだとしたら私は身動きが取れなくなってしまうだろう。いや、自死を選ばざる終えなくなってしまう様な気すらしてきてしまう。これは極論だとは思うが、必ずしも自分が繋がっていると考えるのは若干軽率な気がしてならない。繋がっているのであろうけれども、それを知覚的に認識しているだけであればそれは繋がっているつもりでいるだけだろう。繋がる瞬間はもっと体験的で無ければいけないのではないだろうか。
 「ああ、そうなのだ。」と知ってしまったというある種の後悔と決意の様なものが無ければそれは繋がっているとは言えないと思う。そして、繋がっているつもりでいる人の言葉は実に薄っぺらく聞こえてしまってしょうがない。

 「テレビで見たんだけど」「友人によると」「ラジオで聞いたんだけどさ」「セミナーの人が言っていたよ」「ネットで知ったんだけど」

 こんな前置きを無くしてもその薄っぺらさは滲み出てしまう。盲目にすべてを信じて、信じたフリをしてしまうのは恐ろしい。そして、それは意外と人に伝染してしまう。


 世界と私達が繋がっているのかもしれない。しかし、私達は先進国に生まれてウハウハで他の国を見て幸せ指数がどうのとか言って自分達は幸せじゃないしなんて言って良い逃れて、悲惨な写真を見て、ニュースを見て、自分たちが幸せだと安全だと確認して、そうやって均衡を保っているんだろう。正直な話関係のない話だと私は思っている。そう思わないと生きて入られないだろう。

 どうせ、悲惨な写真で褒められて浮かれているだけの人間なのだ私は。最低ですね。