悲しい事や辛い事に目を背けてはいけないと言うけれど、実際にその現場に立てば目も背けたくなる。それは物理的に見ないという事ではなく脳が記憶しない様な配慮を勝手にするという事なのかもしれない。

 昨年取材に行った際に葬式を見た。(この「見た」ということ自体が愚行で愚答)その時はもう本当に見たくないと思ったし、その場から立ち去りたくなる思いだった。自ら是非撮らせてくれと嘆願した手前撮らずにはいられないし、撮れという様な雰囲気であった。その時に見た光景は今も記憶から離れていないと思っていたし、今も思っているつもりだ。
 しかしながら、それは全体の雰囲気であって一つ一つを明確に、いや、そこにいた人達の顔すらも記憶できていなかった。その事象だけが頭から離れずにいるだけだったのかもしれない。


 再度3,4ヶ月後に撮影をした際に彼らだと自身気付けなかった。覚えていたはずなのに、覚えていなければいけないはずなのに彼らの顔を私は覚えていられなかった。
 それは彼らの顔が悲しみに打ちひしがれ崩れていたからなのだと言う自分の中での言い訳で塗りつぶされる様なものではないだろう。


 やはり私は真に彼らを見ていたのではなく、見ている振りをしていたのかもしれない。悲しい事や辛い事から目を背けていたのかもしれない。そうやって切り抜けられる事は多いかもしれないが、自らが選んだモノに大してその様な事をしているのは大変みっともなく、くそったれだ。