正しそうに見える前提

 ・第三国における農業従事者の生活環境は決して豊かとは言えない。
 ・約十年前より行われてきた従来の農法とは違う綿花栽培における年間支出の増大。
 ・USAによるWTOルールの無視によって引き起こされた国際価格の下落。
 ・ヒンデゥー教における世襲制度の存在。
 ・結婚持参金制度の存在。
 ・灌漑施設の不在。
 ・旱魃


妥当そうに見える推論
 ・先の見えない未来に対しての絶望から逃れる為に自殺
 ・自身が死ぬ事によって周りが救われるのではないのかという原始の記憶
 ・みんな死んでるからそうしてもいいかなーなんて言う風潮によって自殺
 ・自身が死ぬ事によって政府から家族は援助してもらえるのではないのかという希望的自殺
 ・自身が死ぬ事によって事の重大さを知らせるという人柱的自殺


受け入れがたい結論
 ・何だか解らないけど10年以上この状態が続いていて、政府からもそれほどの施しを受けられず、かといって職を変えるという考えすら浮かばずにただひたすらに自然に時間を任せている状態。


 何かを理解するにはいくつかの方法があるだろう。その方法に当てはめていけばそれぞれに答えが導き出せるだろうが、その答えが一様に正しいとは限らないし、一様ですらない。そんな時に私はどう振る舞っていいのか解らない。全ての可能性を捨ててしまう解を求めるよりも全てに可能性のある問いを求めてしまう。
 それは他人に言わせれば「定まっていない」「ブレている」なんて言われてしまうかもしれないだろう。しかし、私の中ではブレているという事がブレていないし、定まっていない事が定まっているつもりだ。ゆらいでいるからこそその平衡を保てている私達が、ゆらがない解を求めるという事ははなから間違っているのではないだろうか。その時その時で見え方という物は変わり移ろっていく物でありそれを受け入れていく事が重要なのではないのかと私は思っている。