自感化学

正直正確には覚えていないのだが、この生活を続けて2年は経っていると思う。 こうやって二日起きて、寝て、二日起きているという生活を続けていること自体には慣れた。少し前までは自負にも似た自信を感じていたし、それで少なからずの満足を得ていた様に思…

思想が芸術なのか?思想からおこる言動が芸術なのか?思想からおこる言動が形になったものが芸術なのか?思想からおこる言動が形になったモノが時間を経て芸術になるのか?

写真をやっている事がある意味重荷になって、面倒臭いと思う事が多々ある。しかし、それでも写真をやっていないと(主に撮影)ストレスが溜まってしまうという矛盾に気づいた時に、やっぱり本当に好きなのかもしれないと思えた。 しかし、それは自分が何かを…

私も随分と年を取ったのかなと思います。いや、私が年を取っていないと思ってからという事で、他の諸先輩型からすれば「このコワッパが!」と思われるかもしれませんが、私も高校の頃から見たら随分と年を取ったもので最近やたらと億劫に思う事柄が増えたの…

理想というものは現実とはほど遠いもので、自身がそれを望んで欲していたとしても、それが適切なものとは限らない。そして、その望んでいたものを手に入れたときの満足感は即物的すぎてすぐに飽きてしまう。しかし、望んでいないものを手にした時に二つの選…

以前友人との会話の途中「朝昼夕の食事から起きた時間寝る時間に、その日何をしたかまで小愛に記録している人がいる。」という話を聞いた。 その時私は「気持ち悪い人間もいるものだ。」と思ったものだが、今になってその事をふと思い出した。 よく聞くかど…

人それぞれ考えが違うだとか、何かと何かの境界線なんて曖昧だとかと行った事は誰しも思っている事で当たり前だろうと私は思っている。ほかにもそう思っている人は大勢いるであろうし、そう信じている。 だが、何かの話をしようとした矢先にその様な事を言っ…

何のしがらみもなく物事を続けていくという事は容易い事ではない。その物事に相当な魅力や価値がない限り不可能と言って良いだろう。もしくは惰性的にダラダラと続いてしまうか。 その些細な志を妨げる、それこそ些細な事象に負けたという言い訳がしたくない…

ろくでもないもので、誕生日と言うものは日常に埋没したドラマなのかもしれないという気持ちが、思いが実に空しい。 誕生日だから!とスーパーで本物のビールと牡蠣フライと鯖缶を買い。「豪華だ」と思った自分が実に空しい。 こうやって日々日常を消化し霞…

きれいなものを見ると必然的に手に入れたいと思ってしまう。僕はそうだ。この手におさめて常に見ておきたいと思う。 しかし、その一方でそれを僕が汚してしまうのではないのかとも思う。 赤ん坊には虫歯菌は無いそうだ。大人の人間がキスをして、その大人の…

僕らはドラマの主人公であるという事を自覚できづに日常というものの中に埋没しきっているのかもしれない。明日の一歩が実はドラマの始まりで、昨日の一歩が実はドラマの収束であったのかもしれない。 僕らは日常を日常として当たり前に過ごし、その中に不意…

僕らにとっての日常は他者にとっての非日常で、他者にとっての日常は僕らにとっての非日常だ。そんな容易い事なのに、気づくことは容易では無く、とても難解な事だという事にすら気づけない。 僕らの想像を超えた日常がそこにあるというのに、それを見た僕ら…

最近たまたま飲酒運転で子供を亡くし、その人を訴えるといった内容のニュースを見た。いや、確かもっと前にも同じ様な内容のニュースを見たような気がする。 まあ、別に内容が飲酒運転でとか、殴られただの騙されただのと誰だって良いのだが、それに対して訴…

そうだけど、違う。 現実というものは往々にして一口では語れないものだ。もしそれを語ってしまうとするのであればそれは横暴であろう。いわばエゴである。 僕らはそうやって、すべてのものを自分の中でカテゴライズして納得しようとする。それは随分とがま…

「アニメ、ダメ絶対!!」と思ってから最早4ヶ月が過ぎてしまった。 最早僕はアニメ抜きには生きられない人間になってしまったのかもしれない。今では「天元突破グレンラガン」「らき☆すた」「ぼくらの」「スカイガールズ」と現在オンエアー中の作品を毎週楽…

僕の頭の中で描いている現実は実に清潔で、輝いているにも関わらず、目の前に広がる現実は実に陳腐で退屈なものだ。しかしそれは当たり前のことで、出来るだけ頭の中の現実に近づけようとしてみる。けれど、どうにも、うまくいかないものでたじろいでしまう…

生きる事がまるで必然で、当たり前に生きてきている。 だがしかし、そうではないのかもしれない。無難に生きる事に意味など無い。破天荒に生きる事などにもさして意味など無い。 この世界の終末が近づいている今、無難に生きるという事には本格的に意味が無…

最近とは言わないが、ECOが流行っている。そして、僕はそれが気に食わない。 言っている人間達はきっと六本木ヒルズや表参道ヒルズに行く人で、そんなセレブリティーな人ばかりに違いない。地球が危ない〜とかいいながら、良いもの食って良い車に乗って、…

久しく泣いていない。誰か死なねーかなー。 こんな事を書いてしまうと大顰蹙極まりないであろう。そして、本心ではその様な事を思っていないのであろうという自己防衛をしておこう。こうやって僕は自分を守っているのだな。と今書いていて思った。 インドか…

久しぶりに恩師に写真を見せた。 普段様々な人に写真を見せているが、あそこまでしっかりと言ってくれる人はやはり居ない。と、共に彼に言われた事はそうなのかと納得してしまう。 それがたとえ他の見ず知らずの人間に言われようとも。「なにくそ」と思って…

世界と今の生活がリンクしていないと思っている人間が実に多すぎる。 それは自分もそうだ。そんなもの繋がっているわけも無い。と、そう思っている。そう思おうとしている。しかし、確実に世界には平等に時間というものが流れ、様々な事情や心情が絡まりあっ…

「自殺なんてわざわざしなくていいじゃん。」 なんて僕なんかはよく思ってしまうけれど、そんな状況になった事の無い僕にはそんな気持ちを知るよしもなく、ましてやそうせざる終えない状況なんてものは想像もつかない。 一昔前に「人はどうして死にたがるの…

先進諸国がいくら必至に環境問題を訴えようとも、それを改善しようとも、世界を見渡せばそれに追いつく術も無いにも関わらず、先進諸国から受ける影響により発展を遂げ、処理しきれないモノコトをさも当たり前のように繰り広げ、生活している国なんてものは…

「21世紀には何も残らないかもしれない。」ある日友人が言った言葉だ。 その時はなんとなく「へぇー」とか適当な事を言っていたが、最近になって少なからず考えるようになった。今だ結論の様なものは出ていないが、「そうかもしれない」と思い始めている。 …

結局人間は自分の周りのニュースが最も重要で、テレビで何を言おうと、何を流そうとも、両親が離婚したとか、友だちが死んだとか、彼女が出来たとか、そういったことの方が実感を得て本格的に思考をめぐらせる事が出来る。出来るという事に気付く。 あんたが…

一つの何かに対して自分がそれを認められるか否かが最も重要な事で、それを訳も解からず、いや訳は解かっているが、それが自分の是非すべき事だと自覚しているかどうか、自覚させられるかどうかが最も重要なのだ。 こんな感じが認められているからとかといっ…

たまに自分があまりにも酷い人間なのではないのかと疑う。 人の優しさ。それ自体本人が気付いているのかどうかは知らないし、その事に対してある意味で策略的に行っているのかも解からない。が、そういったものを不意に観てしまうと、どうも自分があくどい人…

今日インド行きのチケットを購入した。 18.19と二度にわたりインドへ行き。そっちで誕生日を迎える事もあった。あの頃は何も考えずにただ眼に映るもの全てが新鮮でシャッターを押す事に快感を覚え、人と触れ合う事に喜びを得て、騙される悔しさをしった。今…

いずれ来る答えを、先に知ろうと思う事はやはりおこがましい事で、このせっかちな世の中においては正当な対処なのかもしれないが、それはやはりあまりにも出すぎた行為だ。 答えは時間の経過と共にやってくる。それをも待てぬのならば、問いなど不要だ。何事…

自分が主に理解に苦しむ様なモノ、コトは裏を返せば自分には無い領域の、そう異世界のの存在であり、それを如何様にも否定はまず出来ないものであろう。 しかし、理解できないものは理解できない。と、言ってないがしろにしてしまうにはあまりにもお粗末。と…