僕らはドラマの主人公であるという事を自覚できづに日常というものの中に埋没しきっているのかもしれない。明日の一歩が実はドラマの始まりで、昨日の一歩が実はドラマの収束であったのかもしれない。

 僕らは日常を日常として当たり前に過ごし、その中に不意に現れているであろうドラマをも日常であると、あろうと思い込み信じ込み過ごしてしまっているのかもしれない。


 今日、高校時代に好きだった女性が実は東京の大学に進学していたという事を聞いた。


 約3年前の12月31日深く、激しく降った雪、川原には人すら居なく、僕と言う存在だけがそこに唯一あって、そんな中を歩いていた。そんなときに彼女もまたきっと、同じ雪に郷愁を感じていたのかもしれない。


 まるでドラマの様だ。ドラマじゃあるまいし。でも、ドラマだよ。そう信じたいものだ。そうだね。そうだったら素的だ。まるでドラマの様だ。