正直正確には覚えていないのだが、この生活を続けて2年は経っていると思う。

 こうやって二日起きて、寝て、二日起きているという生活を続けていること自体には慣れた。少し前までは自負にも似た自信を感じていたし、それで少なからずの満足を得ていた様に思う。しかし、こうも慣れてきてしまうと別段そういった思い以上に自分が何故このような行為をしているのかという疑問が湧いてくる。
 無論、写真費用を稼ぐためという事は自身でも了解しているのだが、何故そこまで写真行為というものを継続せざる終えないのか。そして、それを何故この様な方法でのみ捻出しようとしているのか。

 結論は簡単でこの方法以外は考えられない上に、物理的、精神的にも不可能だと思っている事。そいて、写真行為をしていなければ駄目になってしまうと思い込んでしまっているという事であろう。
 人は誰しも事故存在意義というモノを追い求めてしまう。それがただ私に撮って写真であったというだけ。そして、それは随分とかねと時間がかかってしまうとうい事なのかもしれない。


 まあ、そんな事はどうでも良い。今はこのような生活を続けている事に関しての不利益について考えたい。いや、考えたいというよりも実害を被っている。 

 それは私の根性が減し曲がってしまっているのではないかという事だ。ここで実例を挙げるのは控えたい。なぜならそれをここで私が書くということ自体が私にとって酷くつらい事だからだ。


 このまま私は精神を腐らせながらもなおこういった生活形態を継続していかなければ写真行為を継続できないのかという葛藤が実に切実に迫っている。