最近たまたま飲酒運転で子供を亡くし、その人を訴えるといった内容のニュースを見た。いや、確かもっと前にも同じ様な内容のニュースを見たような気がする。


 まあ、別に内容が飲酒運転でとか、殴られただの騙されただのと誰だって良いのだが、それに対して訴えるという行為に対して考える。考えさせられる。


 かの有名なガンディーは自分が不当な理由で殴られようが、罵られようが訴えなかったそうだ。それ自体真実かどうか解からないもので、ガンディー自身結構性欲にやられちゃってる部分もあるのだが、彼の唱えた非暴力という考え方に沿って言うのであれば、訴えてどうなるのだろうか?という事だ。

 相手が自分の過ちに気づいてくれたのならば、その時自身が自責の念、あるいは後悔にさいなまれるであろう。

 そんな事を言っている。


 法律だからとか、むかつくし、だとかといった事にばかり気を取られ過ぎてしまう人間は一生相手を憎み続けるのだろうなと、ましてや戦争、紛争なんてものは一生なくならないのだろうなと、そう思わずには居られない。


 でもでも、自分もそんな子供が殺されちまったよ!なんて事になったら殴り殺しちゃうだろうけどね。それが故意だろうが事故だろうがお構い無しに。