自分が主に理解に苦しむ様なモノ、コトは裏を返せば自分には無い領域の、そう異世界のの存在であり、それを如何様にも否定はまず出来ないものであろう。
 しかし、理解できないものは理解できない。と、言ってないがしろにしてしまうにはあまりにもお粗末。というよりももったいない事だ。

 もし、その領域も我がモノにしてしまったのならば、それはどれだけ素晴らしい事であろうか。これは寛容さではなく、貪欲さである。
 
 嫌なものを、心底嫌になるまで見続けられたらそれは一つの価値として自分の中に植え込まれ、いつしか反面教師的存在になりうるであろう。
 その反面、意外と嫌にならなかったとしたら・・・それはどれだけ自分の利益になるであろうか。更なる進化は侮蔑の中にあるのかもしれない。


 好きなものばかり食べていたとしたら人間の体はいつかエライ事になる。そんなものだ。