3.11以降の原子力発電を巡る人々の考えや思いとかは私がなんやかんやと言える事ではないので、私の感じた事などを少々。


 福島には3度行っている。津波の被害や風評被害(現在では実害であるが)などの現状を見ていて、この先も撮り続けなければ行けないという使命感を無駄に抱いてしまっていたが、変な話し現地が平静を取り戻し始めてその勢いも私の中でだんだんと衰え始めてきてしまっていたりする。
 津波の衝撃的な映像はやはり動画でこそ克明であるし、3ヶ月経った今観るのは逆に辛く申し訳なさが募ってきてしまう。(ダメだけど)


 正直実家が原子力発電施設をかかえており、現に最近そういったテーマの写真を発表したという事もあって、私にとっては今回の悲劇の中心は原発で問題であり、それを写真に撮らなくてはいけないという思いが強い。

 その中で、私が東京に住んでいるという部分を反原発のデモンストレーションという部分で目の当たりにする日常とし、福島で送られている日常という部分をかいま見る私の視線という所で色々と思う事があったりする。

 それは両者に置いて某かの切なさという部分で共通していて、デモに関しては最初に衝撃だったのが大声で「ゲンパツハンタイ!ゲンパツトメロ!」と言ってるのが本当に驚いたというか、ショックだった。原発を抱えている町村が否定されている様な感じに聞こえてしまって何だか辛かった。
 もちろんそんな感覚で言ってるのではないのだろうけれど、原発の利権に甘えて行政を行ってしまっていたり、そこから発生する人の流れとかに頼って町を回す事にだらしなさを感じて入るのかもしれない。
 しかし、そこで育ってしまっているので私の中では全力で反対出来ないでいる。だから、ちょっとショックだったのだと思う。それが切なさに変換されたのかもしれない。


 そして、福島でみたのは穏やかな山道を車で走り、自転車で走っていて何故だかもの凄く懐かしくなった。中学生の時にツーリングをした時の感覚に似ているなと思った。
 誰もいない山道をたまに通る車に驚きながら走って風を感じる。バカだと思われるかもしれないけれど普通に自転車を漕いでいて、ここは放射性物質ホットスポット?的な場所なのかとか考えるとぞっとするし、たまに見えてくる家屋には人の気配はしないし、このマイナスイオン的な何かも結構体に良くないのかと思うと怖くなるけれど、こんなに奇麗な場所なのに少なかった観る人が、さらに少なくなっているのかと思うとなんだかやるせなくなってくる。


 この二つの切なさややるせなさは全然違うものだけど、私の中ではどこか似た者の様に感じてしまっていて、どうしても交われない二つの点に思えてしまっている。
 うまく言葉では未だに表現しきれないのが歯痒いし、このままでは写真でなんて到底出来ないのだろうけれど、その場所に生き続ける事で、どうにか私の中で言葉や形に出来る様に何とかしたいものだ。それは勿論田舎もしかりで、そう考えるとモノの見方が私でも変わったのかもしれない。