写真家ばかりを育てるのではなく、写真を見る人たちをもっと積極的に育てるべきではないだろうか。写真家は勝手に増えていくような気がするが、キュレーターや研究家、評論家は中々勝手には増えていきづらいのではないだろうか。

 そもそも、見る側に立つ人間と見せる側の人間では頭の作り方が違うような気がする。そして、どうして撮る側ではなく見る側に歩もうと思ったのかが解からない。


 たとえが若干ずれているかもしれないが、犯罪者は自然と教育無しに社会的影響により増えていくが、それを取り締まる警察はしっかりとした教育を受けなければいけず、それ程増えない。いや、警察が少ないかどうかは知らないけど、そんな感じかなと。
 だめだ、たとえが下手すぎる。