写真は嘘をつくの続きかもしれない。

 稀に自己の写真感的な写真を発表している方の展示を見に行くとどうにも腑に落ちない。別にそれが悪いものではなくむしろ歓迎すべきものだと思っている。というよりも、その中にある種の社会のが介在しているのだろう。しかし、それ(自己写真論)しか私には見えない事がある。

 写真は向こう側しか写せないというのは物理的に当たり前の話だが、私はそれを心理としても受け止めている。写っているものが全てだと言ってもいいかもしれない。しかし、その中に私の見方の様なものを確固として譲らない。といったスタイルのものを良く見る。しかし、やはりそれは自己と他方との関与によって生じる現象なのではないのかと思っている。他方があってやっと写真というものが成立する。そこで自己主張ばかりでは写真として成立しないのではないだろうか。

 いやしかし、こんな事を書いていて自分もそういった事をしている。むしろそうすべきだと思っているという事に気付かされる。あるものをそのまま写している訳ではない。私の中で解釈した答えを出している。
 それもまた嘘なのだ。現実を写真にしてしまうという事は嘘をつくという事なのかもしれない。ごめんなさい。