いつだか写真は一部の誇張でしかないと書いた様に記憶している。それに付随する様な事を最近考えていた。


 写真はいつも嘘をつく。現実をそのままにという事は確実にあり得ない。そこには写っているものしか見えずその外側に広がるモノは写らない。その外側にある事も真実である。それは隠しているという事に繋がりえる。現場に行けば様々な矛盾を感じる。その矛盾からくる葛藤を見せるべきかどうかよく悩む。
 それは隠すか否かという事だろう。何かを隠して何かを際立たせる。よく言われる事だが演出というものにあたるのだろう。

 映像としての真実せいはすぐに言葉で覆ってしまう。そして、その逆も然りだ。他人のものの見方の一つとしてとらえるのが妥当だろう。私はこう見えた。というものを、私にはこう見えた。と解釈する連鎖に寄る誤差の中に真実が隠されているのかもしれない。曲がりくねったものこそが真実なのかもしれない。いや、真実などというものがそもそもあるのかどうか解らない。

 私はこうして嘘をつき続けていくのだろう。嘘はすぐに顔に出る。