http://d.hatena.ne.jp/YaMaCtA/20090409のようなものを作っていて。そして、作り終えて思った。


 こういったモノにしてしまうとある意味での写真性が薄れてしまうのではないだろうか。それは、写真という静止画を連続して作り手の中での時間でつなげてしまい、見る手はそれを受け続けなければ行けないというある種の縛りに起因する。

 写真というものは静止画である。連ねる事にはこちらの意思が多いに反映するが、それを点としての配置にとどめる事によって、ある程度の自由度(見る側、見せる側)を与えていると思う。しかし、それをこちらの時間に当てはめてしまうという事は、それすらも奪ってしまい、こちら(見せる側)側の意思を押し付けてしまってしまっている様に思えてしまう。

 点としての写真郡には、その一枚一枚に見る側の時間を拘束せずに、その見る人間にとっての時間、その中で見つけられるかもしれないリンクを促す事が出来るのではないのかと思う。その時間をこちら側が制御してしまうという事は、そちら側が受け手に止まってしまい、流されてしまいかねないのではないのかと思う。

 ある意味映画的であり、結局ここで終わりなのかと思えてしまう。そう思ってしまうのは旧時代的なのかもしれないし、上手く出来ない自分に対しての苛立なのかもしれない。