初めて違和感を感じたのは一週間前に夫を無くした寡婦を取材した時だ。私が亡くなった夫の名前を聞いた途端に泣き出し、その後絶え絶えながらも話してくれた。あの時だ。

 その違和感が初め私には理解できなかった。しかし、取材も2度目になり良くは無いのかもしれないがその違和感に慣れてきた頃、昨日亡くなり、今日葬儀があるという情報を受けて向かった先での事だ。

 私が忘れかけていたあの違和感が以前にも増して襲ってきた。

 周りでは大勢の人達がすすり泣き、彼が司法解剖から帰ってくるのを待っていた。彼の遺体が到着するや否やそれは大合唱の様に私の耳に突き刺さり、ぐにゃりと人の崩れ落ちる映像が眼に辛かった。
 慟哭が耳をつんざく様に聞こえてくる。その間、その些細な瞬間に聞こえてくる鳥のさえずりが私の違和感を確実なものに変えた。

 あまりにも平和そうに見えるのに、実はそんな事はなく、私には少々理解に苦しむ様な現実が流れている。しかし、目の前で起きている事はまさしく現実なのだ。

〜中略〜

 この問題を撮影をし始めて私が言える事はあまりにも少ない。何が悪いと決めつけてしまう事はおろか、そもそもこの問題を理解しているのかという事、ひいてはそこに暮らす人達の事を本当に理解できているのかという事すら疑問だ。
 文化や言語という壁はあまりにも厚く高い。しかし、私はその一端でも見れたなら。理解できたのならば。そういった思いでこの作品を製作しました。

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