相手が落ち込んでいるのかどうか解らないが、そんな感じの私的な文章に対して酔っているからと言って適当な事を書いてはいけないなと、しみじみと反省した。


 さて、私は写真をやる事は苦痛だ。特にプリントが!などと口走る事がしばしばあるが、事実大変で、続けていけるのかどうかも疑問に思っている。しかし、私は私のそんな思いに反して写真を続けている。別に誰にやらされているからでもなく自らの意思で続けているからにはそれなりの理由があるのだろう。そう改めて考えてみた。いや、彼のRe:によって考えさせられたのだろう。

 常々私は誰かに褒められたい。そう思って生きている。その願望を叶えられる手近な手段としての写真という答えはあまりにも稚拙で説明力に欠け一蹴される恐れがある。
 しかし逆に、生きる事が苦痛で大変だと思う人はきっと大勢いるだろう。たまには「大変だ」と愚痴を漏らす人もいるだろうと考えた時に、その人に向かって「じゃあなんで生きてるの?大変なんでしょ?」なんて言葉をかける人は相当なドSかあまりにも近い人(言った本人に)ではないだろうか。というか、あまり言わないだろう。それと一緒で、私の中では写真は生きるという事と同義だ。と言ってしまう事にも何だか後ろめたさを感じるし、そんな事で納得させる事も出来ないし納得もできない。

 それとは外れて、社会に対してのメッセージを強く主張したいが故にその苦悩の中で何だか疲れてしまう事もあるけれど、それでも続けていきたいんだ!世界に真実を!私の視点を!なんていう上っ面だけの清々しい事は口が裂けても言いたくは無い。


 果たして私はどうして写真を続けられているのだろうか。


 とりあえず返したコメントは「大変だけじゃないから?」