最近終わりましたけど、オリンピックの解説や選手のインタビューで「攻める」と言う言葉を良く耳にしました。「うん、やっぱ攻めだよね!守りとかマジあり得ない!!」なんて私も思いましたけど、写真だとどうやったら攻めなのかってのがいまいち解らない。

 実際「こうだ!俺の見せたいのはこういう事だ!!」なんて大体心の中でやっているし、それを放出するキャパ(金銭的、スペース的な意味で)なんて大体ないんじゃないだろうか。限られたスペースと金銭で攻めるといってもたかが知れているし、それこそ攻めにならないのではないのだろうか。
 変な話、借金でもしてドカンとやってしまえば良いのだろうが、そこまでの度胸も無い。かといって、パトロンがいる訳でもないし、そこまでやって何かを得られる保証だってない。なんて考えている時点で攻められないという事なのだろうか。


 実際展示を控えた今。現在の金銭でやりたい事の4割くらいしか出来ないと実感した時にもの凄いやるせなさを感じている。攻めるとか守るとか、勝つとか負けるとか以前にその舞台に立てないということはもの凄く致命的に思えてしょうがない。
 それすらも振り切って突っ走る勇気も甲斐性も無い事に呆れてしまう。もっと後先考えずに振る舞える者こそが本当の作家なのかもしれない。