日差しは強く冬晴れという言葉がぴったりな澄んだ空気だった。


 日野辺りから川沿いを初めて歩いた。この辺りの凹凸が少し特殊でそこを歩くのは初めてだった。自然再生工事施工中というのぼりがを見ながら、「自然を再生する為に工事をするという事は、以前は自然ではなかったのだろうか?そして、自然を再生する為に工事をする必要があるのだろうか?工事をして出来た土地は果たして自然なのだろうか?」などと無限のパラドックスに陥りながら特殊な凹凸を歩き、重機によってあらわになった地面を歩き、どちらが自然なのかと考えていると無数の釣り人が見えてきた。
 ここら一帯ではスモールバスという外来種の魚が多くスポーツライクな釣りを楽しむ人が多い様だ。と言っても釣れている様には見えず、皆ただ川を眺めている様にしか思えなかった。
 しばらくいくとまた自然再生工事が行われていた。かつてはうっそうと木々や草が茂っていた土地がまっさらになり、一カ所に集められ山となっている木々が何とも痛々しかった。あれほどの木の山というものを私は見た事が無くしばらく見入ってしまう程だった。
 たしか、その工事の理由も外来種の樹木が理由だと書いてあった様な気がする。


 自然とは何なのか、あった時のそのまま手つかずのものが本当の自然だという事は理解出来る。しかし、そこに人間が加わり、そこに様々な要因を加え、それが溢れていく、私はそれも自然だと思う。そして、それを知りもしない元にあった自然という形に戻す為に人が手を加える。ある一方では自然破壊の様にも思えるそれは自然再生という大義名文により正当化されていく。人がおかした自然をまた人の手により癒す事によって自然が戻るとは思わない。だが、その行いもまた自然な事なのだと私は思っている。人もまた自然の一部であり、私達は最も野性的な動物なのだと私は思っている。