週刊で福島の写真と文章を少々アップしていこうと思います。某何かに触発される形ではありますが、私もあの時からの一年を記録していく身としての一つの責任の取り方として、この事実を風化させない為にも続けていこうと思います。微力で粗末に感じられるかもしれませんがお付合いいただけたら幸いです。
 なお初めて福島に訪れた際の写真と文章はこちらをご参照ください。

http://d.hatena.ne.jp/YaMaCtA/20110320



2011年4月12日いわき市久之浜

 いわき市久ノ浜、震災時津波とそれに伴う火災により海沿いの家屋の、大半がダメになった。津波の恐れもあり消防活動を行えず、避難した人達は離れたところから自分達の住んでいた家が燃えていくのを見ているしかなかった。

久ノ浜に住んでいたおばあさん。パーキンソン病のお父さんがどうしても家へ帰りたいというので、避難していた息子宅から、息子に送ってもらい家のあった場所に来たそうだ。そこに住んでいたと指差す先にはカリンの木が真っ黒に焦げかすかに原形をとどめていた。
 梅だったかねーカリンだったかねーと言いながら、眺めているのはなんとも言えない。そして、「また、ここにすみたいですか?」と、聞いたところ
 「住むのには最高に良いところだった。海も近いし、こんな良い場所はないと思っていた。正直まだ住みたいとは思うけれど、子供達が海沿いはもう住んで欲しくないというんだよ。」

 色々な人の思いがある。その場所が好き。しかし、その場所には住んで欲しくない人、住めない訳ではないけれど、住む事を許されない人?どうなっていくのだろうか。