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時間によって変化、進化、退化をするすべてのものが芸術ではないのかと。
木々や草花、都市や地表。そして、人。
そのありとあらゆるモノが元祖芸術ではないのかと思う。そして、その溢れる芸術を僕らはタダ、カメラという機械で複写しているだけではないのかと。
故に、写真家という者は芸術家なんていう者ではないのではないのかと思う。あえて形容するのであれば「芸術複写家」それが写真家の本来の肩書きなのかもしれない。
世に溢れる芸術と形容されている物全般は、やはり元祖芸術には敵わず刻々と廃れていくであろう。しかし、その廃れるという事すらも芸術であり、それこそが本当の芸術なのかもしれない。
僕らはその溢れる芸術の最も美しい時、最も醜い時を的確に複写し、選択し、発表すると言う一連の行為を行っているだけで良いのかも知れない。それすらも異様に難しく、無し得がたいものだという事は承知の上だ。
*東松照明氏は写真を「選択の芸術」と言っている。
注意:この文章は二日間寝ていない風邪引きさんの発言です。