物事の主たる要因を追求する事が稀にある。「車に引かれそうになった時」「偶然にも知人に会った時」それは自分の事だけでは留まらず、「戦争で不運にも無残に亡くなってしまった人の事」「車で突っ込まれてナタで襲われた生徒の事」


 フとした瞬間にコレはどうして起こったのだろうか。もし、自分が1分、1秒速く起きていたなら、忘れ物をして取りに戻らなかったら。そして、その1分速いとか遅いとかはどうして起こったのか。

 現に起こりうる全ての現象には始まりがあるのではないか?


 僕が速く起きたのは昨日の仕事が楽だったから、楽になったのはその現場を組んだ人がそうしたから、そうしたのは気分が良かったから、気分が良かったのは天気のせいかもしれないし、奥さんの昨晩したフェラがメチャクチャ良かったからかもしれない。もし奥さんのそれが良かったのは、八百屋が大根を負けてくれたからだったかも知れない。負けてくれた八百屋のオヤジもやっぱり機嫌が良くて、それはやっぱり天気のせいかも知れない。


 こうなってくるともう思考の海から太陽を掴む事はほぼ無理になってくる。無理になる前に僕はよく自然のせいだとか、お陰だとかと片付けてしまう。と言うよりは、そう信じている。

 この地球上で無敵最強な存在は自然という名の神なのだと。神なんて信じてはいないけれど、もしそれを呼称するのであればやはり自然で、それによって引き起こされた現象はどうにも避けがたい。


 地震、雷、火事、オヤジ、津波に、台風、豪雨に伴う土砂崩れ、雪崩と吹雪。晴天に心躍らせて、雨に気分を落ち込ませ、曇りの時はどっちつかず。

 人の心は行動に、行動は自然に、自然は絶対。唯一神自然。


 話が何だかこんがらがってしまったが、様は僕らの身に降りかかるほぼ全ての現象は自然に因って引き起こされ、それからはどうにも逃れられないと言うお話。そして、コレを今日僕が書こうと思ったのもまた自然のお陰。