写真を神として扱うか。道具として扱うか。その二つに尽きる。


 写真という崇高な存在に対して、自己の写真観念及び、そこから生まれ出た固体をいかに写真というモノに近づけられるか。そして、それをいかに発表していけるかを延々死ぬまで繰り返す行為こそが、写真芸術としての地位を上げるであろうという考え。
 一瞬の美や、変化し続ける前日に対しての写真的アプローチ云々。その中には写真的意味意外には何も存在せず、社会的テーマなどはひょっこり顔を出せば良いかな?程度


 あくまで一つのツールとして、写真というものを自由に操り、いかに相手へ伝達させるかという事に特化した行い。あくまでも道具として写真を使い、写真に犯されず、そして犯さず微妙なバランスを保ち続ける事によって写真芸術の地位向上を目指す考え。
 いわゆるドキュメンタリー写真や、やけに自己芸術観念が強い方が主に使用するであろう。


 さあ、ドッチ!? ドッチもこっちもないや!