「こんなもん撮ったのかよ」と言う言葉にはかつて「金もったいなくない?」というような意味も孕んでいるのではないのか。

 これからの「こんなもの撮ったのかよ」にはどういった意味が含まれてくるのだろう。というよりも、「こんなもの撮ったのかよ」という言葉自体を聞く機会はどのくらいの頻度になっていくのだろうか。


 ファミコン生まれ、フィルム育ちな僕らと、プレステ2生まれ、デジタル育ちな彼らとの1枚への思いというものはやはりどこか違ってくるのだろうか。そうならば速く彼らの写真を見てみたいなと思う今日この頃。