多摩川は今日も晴れ。人はまばらで年かさの増した人ばかりでなんだか少しがっかりだが、仲のいい年の離れた少年少女達の笑顔にはとても救われた。

 あまり裕福そうな風貌ではなく顔や衣服には泥が付いていてなんとも現代にそぐわない風貌であった。終始「欧米かよっ」と言い続け、一番大きなお兄さんを殴る蹴るの連続。それでも優しいお兄さんは怒ることなく笑い続けていたのはさすがの一言に尽きる。

 土手の上から転げ落ちてくれという無茶な要望にも快く引き受けてくれた。4人一斉に転げ落ちる光景は実にシュールであった。

 「早く焚き火しよーぜ!」「明日もお弁当作ってきてね!」

 彼らはいつもでもああであって欲しいと望む。次代に流されない現実もあるのだと寒空の多摩川で知ることが出来た。


 彼はシジミを獲っていた。それようの謎の道具を海面に突っ込み揺する。泥を払いバケツに入れる。一連の流れは手馴れたもので、見る見るうちにバケツにはシジミが増えていく。
 物静かな彼は僕の吐く言葉に小さな声で的確に答えてくれる。必要最低限の声量と言葉数。見習うべきだと思った。今日はシジミの味噌汁だそうだ。
 少し分けてもらえばと思った。


 クリスマスだからか、もともと人があまり寄り付かない様な場所だからかどうかは解からないが人がとても少なかった。
 野良鶏が僕に物凄くなついてくれた。こっちへ来いと支持をすると寄って来て膝に乗ろうとする。マテをすると少しビビって数秒待つ。トサカは微妙に湿っていて、眼は実に可愛らしい。が、野良だけあって毛並みは最悪であった。
 少し彼の過去を妄想してみる。場所は味の素工場の前。きっと彼は味の素工場から鶏がらスープになる事を恐れ脱走を図ったのだろう。そこら辺に落ちている食料を見つける困難さに気付き、人間という存在から餌を乞う事を憶えたに違い無い。そして、与えられる餌にはやはり友の残り汁が使用されたいるのだった。
 で、味の素工場付近は臭い。何かは解からないが臭い。そして、汚い。ホームレスのおじさんが散髪していた。


 5.6時間歩こうが僕が多摩川を何故撮っているのかが解からなかった。逆説的言い訳をすると、解からないから撮っているのかも知れない。何に惹かれているのかが明確ではないからそれを探る為に僕は写真という方法をとり、それを探っているのかもしれない。そして、それがもし解かってしまったのならば僕は多摩川に行かなくなってしまうのではなかろうか。


 多摩川の終点は実に簡素で左岸に空港、右岸に工場地帯。足元にクラゲ。トヨタの膨大な駐車場が造られていた。マジででかい。