本日ドキュメンタリーNIPPONというコンペの写真集を購入した。まだしっかり見ていないので感想は書けないが、この中の写真を全部まとめてキャプション無しに選んで並べたら良いと思う。


 と言うのも、写真というものは常に主観の集積であり、客観と言うものが無い。それがドキュメンタリーと言うのであればそれはしょうがないが、本当の意味でのドキュメンタリー、客観の集積による真実と言う意味で言うのであればそれはそうではない。(ドキュメンタリーはやはり主観の集積による、一見解に過ぎないと自分では思っている)

 故に、それを打破する為には複数人数での作業を余儀なくされるのではなかろうか。


 そうする事によって物事の真実。現場を共有する人物の増加による主観の集積をもってしてこそ真実に近づけるのではないだろうか。
 それがある種のメディアリテラシーなのかも知れないし、相手に伝えるうえでの簡略化でもあるかもしれない。が、今コレを書いていて思ったが、もしその集積をした後に、選抜と言う作業をしたら、それもまた主観の集積になってしまうのかもしれない。


 物事とは実に伝えにくいものだ。いや、正確に伝えなくてもいいのかもしれない。