多ければ良いといった話ではない。が、無いよりはあった方が見る者の知覚に些細なりとも影響を与えるのではないのかと。

 一つ物事の中には無数の主観と今がある。それを安易に例えるのであれば「木」だ。

 無数の根から情報を得、幹は成長をし無数の枝を出す。そして、その無数の枝からは数え切れぬ程の葉を出す。
 僕は安易に手をつけた幹から伸びるそれらに圧倒される。


 収拾がつかない。その様なもだ現実とは。そして、消えた文章に未練を感じずにはいられない。