天候はまずまず。曇りとも言えない晴れの日曜日はやはり人で溢れかえっていて、花見の延長線でバーベキューが盛んに行われている。


 まず、代々木公園に良く怒鳴りに行くといっているアマチュア歌手男性老人に声をかけられる。早々に声をかけられフィルムを巻き巻き片手間に話を聞いていると話がループし振り出しに戻る。「さっき聞きましたよ」と言うと何食わぬ顔で話し続けるので、写真を撮ってみる。そうすると満足したかのようにお互い「ありがとうございました。」と言ってお別れをした。ちなみにおばさんが何所だか南米の歌手でその弟子で、その数は300人以上いて、食えるのは一握りで、今まであった小屋は軒並み潰れて今では、下北沢がアツイ!的なことを言っていた。


 いつも閉じている水門が開かれ、そこでは鮎の遡上調査をしていた。そのお陰でいつもはいけない中州に足を踏み入れられた。
 そこは正に未開の地といった所で、カラスが多数木に止まり上空を舞う。したいでも落ちているのではないのかと思うほど怪しげだが、あるのは草と木と魚の白骨体のみである。
 フラフラ歩くホームレスの様な人物に、どでかい三脚と白レンズといういかにもカメラマンと言った老人に、謎の中年。立ちションしてた。


 友人を呼び寄せ自身を撮影してもらう。いつも声をかけ撮影している自分の行為はやはり辱め的行為だとやっと気付く。が、時期にノリノリになってくるのは人の性なのだろうかと思う。
 ついでに友人も撮影してみる。融通が利きすぎてまたもやノリノリになる。征服欲とはやはりこういったものなのかと思う。


 いたる所で春の盛りを満開にした若人達に若干の嫉妬を抱いた4月の中ごろ。僕はひたすらに自分の足のみぞ頼りていかに多摩川像を具現化するのかと、思案を巡らせる。訳も無く、タダひたすらにシャッターをきるという、自慰にも似た行為の連続に自己陶酔し、後の苦労をも省みずに酒を食らうのである。

 形にするという事など考えていられない興奮はやはり押さえがたいものだが、後の苦労ってもんはそれに比例するもんだ。そう思っているからゆえの苦労なのかもしれないが、そう思ってしまうものはしょうがない。と、自分に言い聞かせる事にも随分と慣れてしまった。