本当はどうでもいいのかもしれない。


 世界で貧困が、飢餓が、戦争が、内戦が、環境問題が、問題視されていようと僕がこの世で生を受けて生きていられるのであれば、その全てはどうでも良いのかも知れない。

 しかし、僕はドキュメンタリー写真家でありたいと切に願っている。

 故に今回の様にインドにおいての綿花栽培地帯における生活苦による自殺問題という、実に辛辣且つ複雑なテーマを選んだのかもしれない。


 「誰もやってないから」「面白そうだから」「これやったら結構話題になんじゃね!」とか、そんなふしだらで、滑稽で、一人善がり極まりない考えでこれを撮り始めて僕は物凄く後悔をした。

 「こんなもんとるんじゃねかった」


 人の涙を見て、人の苦労を聞いて、人の悲しみを食い物にして、そうやって僕は写真を続けていかなければいけないのかと、それならいっその事こんな写真など、「とるんじゃなかった」と、そう思ってしまう。

 しかし、僕はもう撮ってしまった。撮ってしまったからには。関与してしまったからには、世界に向けて発表をしなければいけないのだという責任が伴ってしまう。
 僕がもしその責任を無視できたのならばどれだけ楽ちんな事だろうか?そう思ってしまってしょうがないのだ。


 僕が撮った涙とか、その眼とか、その後ろに広がっている風景とか、その全てを人に伝達しなければいけないのだ。


 残された6ヶ月の幼児、残された20歳そこそこの綺麗な奥さん、残された涙目の母、それに追い出されてしまったであろう奥さん、その他諸々僕は引き受けましたーーー!!って声を出して言ってみたい。そう出来る様に、それを食い物にして生きていきます。