コーパマンデゥヴィ村。そこはこの取材を開始して初めて向かった村だった。そして、最終日、私はもう一度ここを訪れた。

 初めて訪れた時チンチョルカールという家族を取材した。その家族はとても若く夫のスウラーが25歳、妻のギタサラブンが21歳。そして、1歳になったばかりのアスピニーが居た。約3ヶ月前に夫を亡くしたにもかかわらず彼女は私の質問にポツリポツリと、それでいてはっきり答えてくれた。


 私は今回4×5サイズのカメラを使用した。あまりカメラに慣れていなかったという事と、初めての取材という事もありいささか段取り悪く撮影済みフィルムを開けてしまったのだ。そういった事もあり、最終日にもう一度彼女を撮らせてもらおうと訪れたのだ。

 しかし、私が他の村を取材している間に別の家で自殺が起きてしまっていたのである。


 「シャンカル・ワサントラ・カントリ」私が妻に訪ねたが返答が無く、その瞬間誰と無く周りにいた人間が私にそう告げた。そして、その言葉を耳にした瞬間妻リノカが声を上げて泣き出した。続けて長女のマニーシャも泣き出した。長男のチートンだけは涙を流さずじっとこちらを見ていた。
 私はその瞬間大変な事をしてしまっているのではないのだろうか?という思いに駆られてしまった。

 三脚を立て、カメラを据え、ピントを合わせ、露出を計り、もう一度ピントを合わせる。今度はもう少し寄って撮る。彼女とカメラの距離は約50〜60センチ。彼女の涙が目のくぼみに溜まる。そこにピントを合わせる。フィルムフォルダを入れ引き蓋を抜き、シャッターをチャージし、切る。引き蓋を元へ戻し。裏返しもう一度同じ事を繰り返す。

 この作業の間に幾度と無く自問自答をした。「本当に僕が撮ってもいいのだろうか?僕が撮らなければいけない!僕にこの責任が負えるのか?負わなければいけない!その責任とは?彼女のためになるのか?自分の質問によって彼女はまた悲しみにくれてしまうのではないのか?」


 撮り終えた後家族三人のポラロイドを手渡した。その写真を見てまた二人は泣き始めてしまった。ドライバーに腕をつかまれ連れて行かれるまで、私はかける言葉も見つからずただ呆然と泣き続ける二人を、確りとした目の長男を見つめる事しか出来なかった。


 何とも複雑な気分で椅子とも言えない何かに腰をかけた。全身に不自然な疲労感と罪悪感にも似た何か途轍もない達成感の様なものを感じた。それは忘れられない体験だ。

 あの時コーパマンデゥヴィ村に行って彼女と出会っていなければこの写真をどうしていいのか今以上に解らなかっただろう。不謹慎だと思うが「シャンカル・ワサントラ・カントリ」の死がなければ私はこの写真達をフワフワと持て余してしまっていたのかもしれない。