自分はその建物から数キロと離れていない所で18年間生きてきた。それに対して何の疑いも持たず、そこにある事が当たり前だと思い過ごしてきた。そして、それはそこに住み続けている人達にとっても言える事だろう。ある者はそこで溶接工をし、ある者はそこの厨房で働く。そこから送られる電気を使いテレビを見て、光をつけて生活をする。

 しかし、一旦その町を離れて自分はその事の奇異さに気づいた。それがそこにあるという事はどちらかというと特別な事で、ましてや小学校の隣に放射能濃度計があるなんて事は論外であると。何処の町の近くにもそれがあって、みんな生活をしていると思い込んでいたのかもしれない。


 自分や家族、友人知人、いや、そこに住んでいる全ての人間には頓着しないという名の覚悟があるのかもしれない。