私にはその場所に意味を無くする事が出来ない。その場所がいくら他の場所と似ていようともそこはそこであり、そこには別の場所とは違った時間が流れそれを重ねて来たからこそ、そこであるという証明がなされる。

 私にはその時間に意味をなくす事が出来ない。その時間に至までの経緯がある。その時に至までの時間や関係がそうさせたのだという証明がある。それは私には見えない。しかし、想像する事は出来る。その会話。その風景、その話口、それらすべてから想像しうる可能性を模索する事が出来る。


 私にはサラダボールの中にすべてを入れてしまうという事が大変苦痛だ。そして、億劫だ。全てを混ぜて色とりどりに見せてしまうという事に抵抗を抱いてしまう。実際世界と言うものはその様なものなのであろうが、出来れば別々に味わってじっくりと吟味をしたい。たとえそれが混ぜられ、同じドレッシングをかけられたものだとしても、一つ一つ味わってみたい。
 私の中に出来かけているその味覚を越えて、その先にある本当の味をしっかり、洗って本来の味に戻さずにそれをしっかり感じてみたい。ドレッシングを食べているのではなく、ドレッシングというエッセンスを受け入れながら味わっているのだと、ベジタリアンに主張していきたい。

 そういった事が私にとって毒になり得るものであってもしっかり飲み込んでみようと思う。それが私にとっての真実であるなら胸を張って「真実のIT革命や〜」と訳の分からぬ比喩よりも曖昧な事で発表していきたい。そう思う。