私がどうしてぬるま湯系が好きか。それは単純に写真をやっているからだ。説明しよう!ぬるま湯系とはry


 という事で、私はいわゆる「打ち上げ」というものに対して激しいあこがれがある。それはみんなで何かを成し遂げた後にその苦労を慰めあうというか「あの時はああだったよねー」なんて言って情報や苦労を共有した仲間同士で盛り上がれる環境に憧れるという事だ。
 写真をやっていると(作品制作とか)主に一人で制作から発表までを一貫して行わなくては行けない。発表が終わったとしても(出版以外)結局一人でやってしまっているのでこの苦労を誰かと共有する訳にもいかず「あの時はこうでさ」なんていう事を他人に話したとしても理解はされず、最悪「なに?好きな事やって苦労話してるの?」なんて愚痴に思われてしまう。(最低限同じ様な事をやっている人に対しては通じる所があるのが救いだ)

 愚痴を漏らしたい訳ではない。共有したい。あの時この時を共有しあえる仲間が欲しい。


 そんな事を考えていると、あの時は良かったと思えてしまう。

 写真学生の時は実にその環境が整い過ぎていて、夜間ならではだったのかもしれないが、18歳にも関わらず同級生(と言ってもほとんどが2歳以上年上)と飲んでいた。口を開けば「写真」「写真」と言っていた。
  写真をやる事だけが私の全てで、写真をやっているからこそ出会えた人達だったし、写真をやっているから楽しいと思えていた。しかし、いざ卒業してみると、それは実に過酷なものに感じられ、「楽しい」だけでは済まされない上に、その時の仲間達もそれ以外のものに歩を進め出していたりする。そして、「写真」「写真」と言えなく、言わずとも良くなり、言ったとしてもそれが共有かと言えばそうではなく、ただの愚痴であったり、報告であったりする。
 それが悪いのかと言われれば何とも言えないが、私は納得できないし、物足りない。あの時のパッションのぶつかり合いほどは求めないが、物足りない。ぶつかりあうだけではない。たまには傷を舐めあい。無知なりに褒めあう。そんな関係が実に心地良かったりする。

 だが、そんなものはもう無いし、実は求めていないのかもしれない。


 故に、けいおん!が私には眩し過ぎて憧れて、とても良いものに思えてしょうがないのかもしれない。