作り手は見る専門の人に縋っていかなければいけないのか。権威に縋っていかなければいけないのか。

 きっとそれは大体そうだと思う。そんな感じの人達に認められなければ表に出て行けないだろう。誰かに認められたいのではなく。彼らに認められたいのだろう。普通の人が「いいね」と言うより、権威ある人が「いいね」と言ってくれた方が正直嬉しかったりする。そこから表に出て行ける可能性があるからだ。しかし、私は誰でも良いから「いいね」と言ってほしい。言われたら凄く嬉しい。お世辞でも嬉しい。

 でも、本当に写真を解っている人などいるのだろうか。解らない事が当たり前だと思っている自分にはいないとしか思えない。尺度の違いで意見は常に噛み合ず、どこかで接点を見つけていく。見つけるという努力は実に重要で難しい。そこの引っかかり一つで進む方向が違ってくる事は必然だ。それを受け入れられるかどうかが重要な事だが、そこで左右されてしまう事は情けない事だ。そして、私は結構左右されてしまう。