PlaceMにはプリントをする為によく行くので必然的にそこで開催されている写真展を目にする。

 そして、昨日まで行われていた「熊木裕高 そうならなければならないなら」と「星野貴子 明るい小部屋 -family ortrait」http://www.placem.com/schedule/2009/20090914/090914.htmlはいろんな意味でインパクトを受けた。

 全然違う二つの展示ではあるにも関わらず、何故だかもの凄くマッチしている様にも思え、最初は同じ一つの展示なのではないのかとも思った。いや、冷静に考えれば全く異質なものなのだが、何故だかその時はそう思ったし、何より壁面全体に大きなプリントが施され、その上に写真を展示するという方法と、自宅のリビング、もしくは海外映画などに見られる様なリビングを模した空間が混在するという事が私の中ではあまりにもショッキングで、新手のモダンアートか何かかと思わされた。
 しかし、あの空間に長いこと滞在するのはあまりにも苦痛で、それは何故かと考えてみたらあまりにもビビットだから・・・という安易な答えと同時に作品同士のコントラストが苦しいものにさせたのではないのかという仮定に達した。
 方や穏やかな子供の写真、方やビビットなデジタル日常写真、きっとその二つは最初に感じた様に連結しているものでありながら、今現在の私にとって混在し得ない可能性であるのではないだろうか。
 外に出た時の自分と家へ帰った時の自分。それはあくまで同一でありながら、同時並行であることを許されない様なあの感じは何とも言えない息苦しさをかもしていた。あり得ておるにも関わらず決して一緒に考えてはいけない訳ではないけれど、出来ることなら考えずにいたいことが同時に迫ってくる時の恐怖にも似ている。


 蛇足:ソファーが途中で追加されたのには驚いた。後http://kenshukan.net/john/archives/2009/09/21/kameido/の5枚目を見て、「ああ、こう見るとでかい写真もよく見えるんだ」と思わせられた。


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