度々、海外でも国内でもドキュメンタリー作品をところかまわず見る訳で、大体が35とか手持ちカメラなんだが見てたら大体、首切り手元構図や手前人ボケや顔以外空白だったりどこかで見た様な写真だったりするんだけど、それはもはやひな形なのかと思ってしまう。
 正直自分もそんなものばかり見てるからなのかは解らないけれどやったりするけど、あまりに溢れているとそれが実はスタンダードで、それを見る人も見飽きているのではないのかと思えてきてしまう。

 ある意味機転としてそういった写真を起用して見る者の意識を飛ばしながら、その物語に導入し直すという使い方がなされているのかもしれないけれど、あまりにも多数の人に出てくるのでどうなのかとも思えてくる。けれど、そこがある種の限界なのかもしれないとも思えてくる。