先日友人に「お前は写真村の村民としか話していない。もっと他の村民と話してみろ。そしったらもっと世界が広がるぞ。」的なことを言われた。

 その友人は基本写真で、そこから色々な世界に目を向けなんでもやってやる的な20代後半だ。この前なんてホストクラブに体験入店してた。すげー


 創めは18歳。その頃に村民になってしまったのかもしれない。

 あまりにもベトナム戦争の写真が凄かったとか、ネットで見る写真が綺麗過ぎたとか、やる事が無かったとか、ウルルン滞在記が面白すぎたとか、そういった理由だった。

 そんな理由で来させていただきました。昼間は餃子の王将で働き。夜は写真の学校へ行き。何故か貯まった金でインドへ行き。途轍もない恩師に出会ってしまって。そうやってどんどん長老になりたいなと・・・いや、長老は厳しいので野党的村長補佐とかが丁度良いかもしれない。そのくらいの立場でやって行きたい。

 今では友人のほとんどが写真関係者。しかし、そんなのは当たり前、最早、何を見るにも写真というフィルターを通さなければ見えない。盲目人間になってしまった。


 しかし、コレでよかったのではないのかと思う。もし自分が写真と出会ってなければ、テロリストにでもなっていたのではないのかと。空からサリンを降らせていたのではないのかと・・・
 世の中の卑猥さ、矛盾、虚無、その全てが目に付き鼻に付き正常ではいられなかった事であろう。今でもツクヅクそう感じるが、僕はもう盲目人間。メクラのツンボです。もう関係ないです。良かった良かった。


 このまま一生ノラリクラリ写真を撮りながら生活していくでしょう。一生写真です。眩暈がする。吐き気がする。でも良かった。いっその事フック船長バリに手にカメラを仕込もうかと思うくらいだ。いや待て、それじゃあフック船長じゃないな。カメラ船長だ。カッコいいかも・・・