ある青年がいる。その青年は清掃業というカースト的には下位ランクの職業に従事している。その傍ら絵画を精力的に制作、発表していた。


 彼はある時ちょっとした高台にあるセレブリティー極まりないマンションを清掃していた。そこから出てくる住民は元より、そのマンションの前を通り過ぎる人達の自分に向けられる見下した様な目線が実に嫌だった。嫌で嫌でしょうがなかった。


 「自分は絵を書いているのだ。銀座のギャラリーでだって展示した事がある。売れた事だってあるんだ!」


 そう思うことで青年は自分に向けられる目線を相殺しようとしていた。


 正にそこに住んでいる様な人達が自分の絵を見、そして買っていく。自己のアイデンティティーを二分する事によってのみ彼はこの資本崇拝的社会を生きていくことが出来るのだ。


 芸術をしているから偉いだとか、高台に住んでいるから偉いだとか、そういった観念が蔓延っているかの様に思えてしまう現代社会。そこから生まれてくる矛盾。
 彼はその瀬戸際で運良く生きる最善の策を見つけ出せた。しかし、一歩間違えばその矛盾に激突し、現実から逃げ出してしまったかもしれない。

 自分の立場によって向けられる目線の違い。ある時は尊敬の眼差しで、ある時は嫌悪の眼差しで、両者とも同じジャンルの人間だとしたらそれこそ暴力の何物ではない。


 彼は今でも絵を描いているのだろうか?書き続けることが出来るのだろうか?