差別は良くないと口にしてみたり、思ってみたりはしているものの、実際の所差別心と言うものはどうにもぬぐいきれない。
 差別も区別も一緒くたに考えてしまっているからなのかもしれないが、あの人は違うだの、俺はこうだのと色々と思ってしまう。それによって態度が変わるという事は無いとは思っているが、実際の所そんなもの自分の主観でしかないのだからどうとも言えない。

 僕は差別主義者なのか?


 現実が横たわっている中で、コレは綺麗な現実でこちらは醜い現実とある一定の線引きをして被写体に向かう。向かうが、それに対しての自分の中での興味の大きさはさして換わらず、極力よく撮ろうと思う。よくというのは何だか解かり難いが、と言うより撮影最中はさして考えていないのかもしれない。撮影以前に興味を抱く瞬間に脳内でその様な処理をしているといった所なのだろう。

 その脳内で処理されているという事に対して後から何かしらの後ろめたさを感じてしまう。

 「ホームレスだおもしれー」とか「水難事故現場だ気になるな」とか「夕日が綺麗だ」とか「あの姉ちゃん可愛い」とか、そういった感情の中にはやっぱり何かしらの差別とか、区別といったものが存在していて、その瞬間は気にも止めないが、不意にあの時の俺は何なのだろうと思う瞬間がやってくる。