「綺麗だった。」で、終わっていただいても構わない。しかし、あわよくばもう一度文章を読んでから見直し、些細な事象に気づいていただけたのならなお光栄です。

 自身何が言いたいのかが解からないという最悪の事態に陥ってしまったが、見る人が意外にも何らかの事に気づいてくれているみたいなので、それはそれで良かったのかなと思います。いや、よくは無いのだが。


 少なからず言える事は、日常の中には様々な事象が潜んでいて、それをあえて誇張させて見せ付ける必要など無いのではないかという事。もし、そうしてしまったのなら何とも押し付けがましく、見るに絶えないものになってしまうのではないのかという事です。

 それはそこにあって、気づいてくれる人を常に待ち望んでいるのではないのかと。


 未だに僕は僕の写真に追いつけない。