慟哭は悲しみを表すのに十分足り得る音であり、鳥のさえずりは平穏を表すのに十分足り得る音であると私は思っていたし、そうであると今でも思ってやまない。しかし、その二つが同時並行的に私の耳に入ってくるという事は私にとって日常ではなかったし、入ってくるべきものではないと思っていた。
 しかし現実はその様な私の思い込みとは別に連綿と続き、平然と私の耳を通り、脳へと到達する。

 そういったある種の矛盾というものは日常的に感じるが、それはあくまで日常の上に不意に現れる受け入れやすい矛盾であり、今回の様に、否、以前の取材の際にも感じていた違和感というものは格別なものの様に感じる。あれほどに農村くさい穏やかな場所で、ある意味日常的に自殺という行為が、現象が起きているという事があまりにも不自然に感じてしまう。
 彼らにとっては日常的に聞く世間話にも似たものなのかもしれないが、外から来た私にしてみたらやはり驚くべき現実であり、奇異と言っても良いくらいだと思ってしまう。しかし、そういった日常的だと思った自分の感覚、そして、そこでそういった事象が起こっているという事の現実を私は極力伝えてきたいと考えている。

 彼らの日常の中に不意に訪れる激情を何としてでも見せていきたいものだ。