この写真はあまり良くない。そう私はもう。何だかごちゃごちゃし過ぎていて、何を見せたいのかが明確ではない。おまけに、周りの人達が死体や、泣いている人を見ているのであればまだしも、こちらを見てしまっているというのはどうしようもない。と、私は思っていた。「ああしておけば」「こうしておけば」と帰国後の後悔はひとしおであった。
 しかし、今日プリントをしていて不意にこの写真は良いのかもしれないと思った。


 若干穿った見方になってしまっているかもしれない。いや、相当かもしれない。

 彼らが私を見ているというのは事実だ。始めてに近い位の外国人があろう事か村で自殺した人の写真を撮っているという好奇心と軽蔑にも似た様な目線。実際プリントをしていてあの時の事を思い出して嫌な気持ちにもなった。
 しかし、これは公の場にでてしまえば撮影者ではなく、見ている人に対しての目線に変わるのではないのだろうか。

 ポートレイトとは別の意味でこちら側を射抜く様な目線。その後ろに広がる光景をも含めての追体験。この事に対してお前はどう思っているのかという投げかけ的目線に私は耐えられない。的な。


 なんて、思う様な写真を上げられなかった撮影者の言い訳なのかもしれない。いや、言い訳か。